かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

坂の途中

 『背中を見せちゃいけない。坂の途中で振り向いちゃダメだよ。後ろには誰・・・・・・・・』

 

 誰?
 『誰』の後にあいつなんて言ったけ?

 

 幼馴染のあいつがそろばん塾から帰る途中にある坂で死んだのは去年だった。ちょうど今頃、夏休みに入ったばかりのころ。家が近所だからいつも一緒に帰ってたけどあの日僕は風邪をひいていてあいつは一人だったんだ。
 自殺なんて噂もあったけどただあいつは坂から転げ落ちただけ。だから事故ってことになる。坂で転んでそのまま転がり落ちて事故死。なんか「事故」って単語の使い道が間違っているような気もしたけど大人たちが事故だって言うんだから事故だったんだろう。
 そのあいつの夢を夕べ、というかたぶん今日の朝方ずいぶんと久しぶりに見た。だからなんとなく今日はそろばん塾へ行くのが嫌な気分だった。もちろん行きたい気分な日なんてのも特にあったことはないのだけれど。


 だいたいこれからの時代にそろばんってのがどれだけ役に立つというんだろう。どうしてそろばん塾があるのに電卓塾ってのはないんだろう。そろばんより電卓を使った方が計算が早い気がするのは僕だけじゃないだろうに。
 そろばん塾が終わるともう空は薄暗かった。
 7時10分前にそろばん塾が終わると僕たち生徒はみんないそいで走って帰る。観たいテレビが始まるか始まらないかの微妙な時間だからだ。ほとんどの生徒は自転車だけど、僕の家はそろばん塾から長い坂を登った団地の中にあるから僕だけはいつも歩きだ。普通の道を歩けば僕の家まで15分はかかる。けど近道の急坂を登れば5分くらいで着く。その急坂はあいつが転んだ坂道だ。正直に言うとこの坂を上るのは気味が悪い。だってあいつはここで転んで転がり落ちて死んだんだ。でも観たいテレビが7時からある。僕は急な坂を急ぎ足でせかせかと上り始めた。

 

 坂は自動車が一台なんとか通れる位の幅でだいたい200メートルくらいの長さ。角度はどれくらいだろう?
 一度、軽自動車が坂の途中で上りきれなくて立ち往生していたのを見たことがあるから相当きついんだろう。それにしたってあいつ、坂で転んで死んじゃったなんてなんか間抜けだよなあ。だいたい・・・・・・・あれ?え、あれ?
 おかしいよなあ?
 今日の僕と一緒であいつはそろばん塾の帰り道、坂を上っていたはずだ。普通歩いていて転んだら前へ倒れるよな。後ろへは倒れないだろ。坂を上っている途中に転んだら当然前へ、上り側へ倒れるんだ。坂を下ってる途中に転んだら下へ向かって倒れるんだからそのまま転げ落ちそうだけど・・・・・・。

 『背中を見せちゃいけない・・・・』

 夢の中でのあいつの言葉が浮かんできた。背中?背中?ひょっとして後ろから誰かが引っ張ったとか?誰?誰が?
 僕は坂の途中で足を止めた。気が付くと坂はすごく薄暗く、そして静かだった。何の音も聞こえない。なぜだろう、なんの音も聞こえない。
 今は坂のちょうど真ん中ぐらいだ。坂の終わりまであと100メートルくらい。
 僕はゆっくりと息を吸うと歩き出そうとして前へ一歩踏み出した。
 すると坂全体からザワザワと音がしだした。な、なんだよこれ。
 心臓がドキドキしだした。なんだかわからないけど早くここから、早くこの坂を抜けちゃわなくちゃ。
 僕は出来るかぎりの早足で進んだ。坂をすごく長く感じた。おかしい、おかしいよ、この坂、こんなに長かったっけ?

 『・・・・・坂の途中で振り向いちゃダメだよ。・・・・・』

 そうだ、振り向くな。この坂はおかしい、変だ。とにかく急いで、少しでも早く抜けてしまわなくちゃ。
 僕が足を早めるとそれに合わせるように周りのザワザワとした音も大きくなった。

 『・・・・・後ろには誰・・・・・・・・』

 音は次第に大きくなり、まるで僕の前をふさぐように正面からぶつかって来るかのように聞こえ出した。
 夢の中であいつはなんて言った?『誰』の後になんて言ったんだっけ?
 誰?
 誰かいるのか?
 そいつが何かをするのか。
 でも、どうしたらいい?
 『背中を見せちゃいけない』ってあいつ言わなかったっけ?
 後ろに誰かいるんだったら僕は今そいつに背中を見せてるんじゃないのか?
 『振り向いちゃダメ』、でも『背中を見せちゃいけない』?
 どうしたらいい?
 どうしたらいいんだ?
 まだ坂は終わらないのか?
 僕は、僕はどうしたらいいんだ?僕の後ろには何がいるんだ?

 

 僕は耐え切れず後ろを振り返った。
 振り返ると同時に音が消えた。
 ・・・
 ・・・・・
 ・・・・・・・何も誰も居ない。
 僕の後ろには誰も居ない。
 そして思い出す夢の中のあいつの言葉。

 『背中を見せちゃいけない。坂の途中で振り向いちゃダメだよ。後ろには誰もいない、いるのは・・・・・・』

 「前?」

 僕が一言そうつぶやいた瞬間、ドンッと背中に何かが当たった。
 そして空が地面がぐるりと回って、その回る景色が200メートル近く続いた。
 そして消えた。