かおなし=Faceless

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フランダースの犬 2007-08-06

 ベルギーフランドル地方のとある村、そこに一人の少年がいた。
 少年の名はネロ。絵を描くのが好きで祖父と親友のパトラッシュと慎ましく暮らしていた。やがて祖父が天寿をまっとうしこの世をさるとネロは天涯孤独の身となった。ネロは幼い頃からの夢である画家を目指そうと心に誓い、コンクールに向けた作品の制作にとりかかる。
 祖父はネロが画家になることに反対していたが、その祖父がいなくなりネロの夢を止めるものはいなくなった。むしろ歯止めがなくなったとも言えた。
 ネロは村一番の金持ちコゼツの家へ向かった。コゼツの家にはコゼツの娘で幼なじみの少女アロアがいる。
 ネロはアロアに絵のモデルになってくれるよう頼んだ。
 ポーズはネロが考案した前衛的で挑発的なポーズだった。そしてなにより、ヌードモデルだった。
 ネロはコゼツの家から叩き出された。
 しかしネロはあきらめなかった。ネロは自分の芸術が理解されないことを嘆きはしたもののアロアのヌードをあきらめなかった。なにしろ年少の身でありながらコンクール優勝を目指す野心家であったから自分の絵の才能に対する自負心が強かったのだ。
 コゼツは日に日にやつれていった。
 アロアをつけ狙うネロの存在がコゼツに激しい心労を与えていた。ネロのアロアに対するスト-キング行為はエスカレートする一方だったのだ。コゼツは金持ちだったから自警団を雇いネロがアロアに近づけないようにした。しかしネロにとってコゼツの家は幼なじみアロアの家、勝手知ったる他人の家だ。自警団の目を盗んで近づくなことなどネロにとってはたやすいことだ。コゼツもアロアもヌードを描くことに異様な執念を燃やすネロを非常に恐れ警戒していたが、残念なことにネロの絵は着々と完成に近づいていた。
 ネロは誰にもばれないよう村の風車小屋に絵を隠し、こっそりコゼツの家に忍び込んではアロアの様子を盗み見し絵(ヌード)を完成させていった。
 しかし秘密はばれる。こそこそと風車小屋へかようネロを不審に思った村人に絵を書いているところを見られてしまったのだ。
 アロアは泣いた。さすがに少女にとって自分の裸が描かれ、あまつさえそれがコンクールにだされ衆目にさらされるとあってはショックが大きすぎる。
 コゼツは激怒した。すぐさま自警団を率い風車小屋へ向かった。
 狡猾なネロはすでにこのような場合を想定しており、習作として書いたコンテを一枚余分にとっておいたものに簡単に色づけし、その絵を風車小屋に残しコンクール用の絵だけを手に風車小屋から逃げ出した。
 怒りに燃えるコゼツは風車小屋につくとネロや絵を探す手間をかけずすぐさま火を放った。ネロは先に逃げていたので助かったが残された絵筆や習作はのこらず燃えてしまった。
 習作をダミーにして絵を完成させるつもりだったのに風車小屋ごと燃やされてしまったために絵の道具を失ってしまいネロは絵を完成させることができなくなってしまった。ネロは仕方なく未完成の絵でコンクールに応募することとなった。
 コゼツは風車小屋ごと燃やしたことでもう大丈夫だと安心していたのだったがネロが未だ生きていることを知ると自警団の連中を丸め込み、風車小屋が火事になったのはネロのせいだと証言させた。これ以上ネロをアロアに近づけさせないためにネロを村から追放しようと考えたのだ。
 ネロは無実を訴えたが村人たちの反応は冷たかった。普段のネロの素行がものを言ったのだ。さらにネロに追い打ちをかけるようにコンクールの通知が返ってきた。結果は落選だった。
 ネロは村での生活に絶望し村を飛び出した。ヤツらがじゃまさえしなければアロアのヌードは完成し、コンクールでの優勝は間違いなかったのに! それにしたって審査員たちも見る目がない。たとえ未完成といえどこの絵をみれば僕の才能がどれほどのものかわかるはずだ!
 いったいこの絵のどこが入選にふさわしくないというのか。
 ネロはコンクールが終わり返却された絵を手にアントワープに向かった。そこには有名なルーペンスが画いた聖母像がある。僕の画いたアロアとルーペンスの聖母、いったいどんな優劣があるというのか。もし僕のアロアがルーペンスの聖母に劣らないのなら、聖母像を引きずり下ろしかわりににこのアロアのヌードを飾ってやる。いや、アントワープの大聖堂にはむしろこのアロアの方がふさわしい。大聖堂を訪れたものはみなその敬遠なる頭をアロアのヌードの前にさげ、そして跪くのだ。
 ネロがアントワープに向かったことを知ったコゼツはすぐさま追っ手を向かわせた。なんとしてもネロの狂気を止めなくてはならない。もはやアロアはショックから立ち直れずろくに口もきけず立ち上がることすらままならないほどに衰弱してしまった。もはや父が父としてアロアにしてやれることは娘の無念を恨みを晴らし、これ以上のはずかしめをうけないようにしてやることだ。
 雪が降る深夜、ネロはアントワープの大聖堂に狂気とともにたどり着いた。わき上がる感情、これは狂気か、それとも歓喜か。
 渦巻く感情を纏わせた右手を大聖堂の扉のノブにかける。しかしその時、ネロを止める者がいた。その者は扉を開けようとするネロを後ろから引っ張り扉から引きはがした。ネロが驚いて振り向くとそこにはかつての親友パトラッシュがいた。ネロはすぐに悟った。おそらくはパトラッシュがコゼツの放った最後の刺客、ネロを止めるための追っ手なのだと。
 残念だ。よりによってこの僕を最後に阻むのが親友の君だなんて。だけど無駄だ。たとえパトラッシュだってこの僕を止めることなどできはしない。最初から君の正体はわかっていたんだ、このフランダースの犬(手先)め。帰ってヤツに伝えるがいい。僕は貴様の思い通りになどならないと。
 すでに正気を失い扉に再びとりつくネロ、そしてそれを止めようとするパトラッシュ。二人はもつれ合い、つかみ合い大聖堂の扉の前を転がり、扉の前の石段から落ちた。
 しばらくしてネロは目を覚ました。どうやら石段から落ちた拍子に気を失っていたらしい。体がすっかり凍えてしまっている。横にはネロと同じようにパトラッシュが倒れている。二人の体の上にはうすく雪が積もっている。ネロは大聖堂の扉の方へ震える手を伸ばした。だけどその手には力が入らずもう何もつかめなかった。
 何かつかみたかった。最後に一目だけでもルーペンスの絵が見たかった。僕がつかめなかったモノがなんなのかを知りたかった。
 どこで僕は間違ってしまったんだろう。もう手を伸ばしても届くのはどんどん冷たくなっていく親友のパトラッシュのぬくもりだけだ。それももうすぐ失われてしまう。
 なにを僕は間違ってしまったんだろう。
 ごめんよアロア、僕は大好きな君を画いてみんなに認めて貰いたかっただけなのに。
 ネロはパトラッシュと抱き合うようにして目を閉じた。最後にパトラッシュのぬくもりだけがネロの手の中に残った。
 そして静かにそれを見守り、その場を立ち去る者がいた。その手にはネロが画いたアロアの絵。
 フランダースは絵を手に立ち去り、振り返ることはなかった。すでに目的は果たした。後は偉大なる祖国、大いなる帝国イギリスへ向かうだけだ。

 

 

 

 後日、ネロが住んでいた村に一報が届く。

 実はコンクールで手違いがあり、ネロに届いた落選は間違いだった。ネロが描いたアロアはコンクールで上位入選を果たしていたのだ。

 ネロが描いたアロアは当時の封建的で男尊女卑の世相に挑戦するかのような女性の解放と美を謳う画期的な絵だったのだ。

 村にその知らせとともに訪れたコンクールの係員は村人たちにネロとその絵の所在を尋ねた。しかしネロの所在について答えることのできる者はおらず、絵の行方も全くわからなかった。

 

 完