かおなし=Faceless

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名前負け

 後向きな性格の人の名前が「進(すすむ)」だったら、それは名前負けというのだろうか?
 いじめられっ子で、受験に失敗し、なんとか就職するも会社からリストラされ、その後自分で事業を起こすもすぐに倒産し、妻は子供連れてアパートを出て行ったあと、友人に騙され借金を抱え、ヤケになって安酒場でチンピラとケンカし床に転がされた「勝利(かつとし)」さんはなにを思うのだろうか?


 ステキにポジティブですごそうな名前の持ち主が、死に際に自分の人生を振返り「ああ、俺の人生って名前負けだったよなぁ。」と思ったらそれだけでもはや人生の敗北者的気分。
 そういう観点から考えると太っている太さんは人生の勝利者なのかもしれない。彼は死に際に「ふ、俺の人生は‘名は体を現す’だったな。」と振返る権利を持っている。(給料と健康診断の結果は先細りなのだが。)


 だからみんな、子供にステキ過ぎるカッコイイ名前を付けるのはやめるべきなんだ。
 いっそのこと「負け太(まけた)」とかつければいいんだ。点の位置を間違えると「負け犬」でもう人じゃなくて犬なんだ。
 負け太さんの人生を考えてみよう。負け太さんは負けている限り名前負けをしない。負け続けている限り名前負けをしない。
 女にフラれても、受験に失敗しても、就職に失敗しても大丈夫。負けることが、負け続けることが人生、負けることが勝利。
 「この敗北は敗北ではない、勝利への敗北なのだよ。」
 とステキ台詞も言えてしまう。むしろ勝ってはいけない。勝ったと思った瞬間に負け太さんは名前負けすることになり人生の落伍者になる。死に際に「名前負け」という敗北の十字架を背負いこの世を去ることになる。


 かくして負け太さんは、いじめられっ子で、受験に失敗し、なんとか就職するも会社からリストラされ、その後自分で事業を起こすもすぐに倒産し、妻は子供連れてアパートを出て行ったあと、友人に騙され借金を抱え、ヤケになって安酒場でチンピラとケンカし床に転がされた。
 救急車で病院に運ばれ治療を受けていると、隣で同じように治療を受けている勝利さんが・・・・。
 まさに似たような人生を送りながらも正反対の名前を持つ二人の宿命的(?)な出会い。二人は同じ病室で並んだベッドに寝かされた。
 その夜は治療の経過をみるため二人ともそのまま病室に泊まることになった。だが傷の痛みでなかなか寝れやしない。退屈しのぎに二人は言葉を交わし、お互いが病院に運ばれたいきさつを語り、その後それぞれの人生を語り合い二人はお互いのよく似た境遇に驚く。名前はこんなにも正反対なのに、こんなによく似た人生を送っていた二人。さらにもっと二人はお互いのことを詳しく語り合った。
 恐ろしいほどよく似た境遇の二人だったがやはり別々の人間、何もかも一緒というわけはない。負け太さんがリストラされたのは入社13年目のことだったが勝利さんは入社7年目だった。負け太さんの借金が5千万円なのに対し勝利さんは8千万円で、今日の怪我も負け太さんが4針縫ったのに対し勝利さんは6針だったのだ。
 負け太さんは愕然とした。
 「負けっぷりで負けた・・・・。」
 負け続けることが勝利だった負け太さんは、その負けっぷりにおいて負けてしまったのだ。負けることが人生の証だった負け太さん。どんなにひどい目なっても「負けることこそ俺の人生の勝利」と名前負けはすまいと生きてきた負け太さんが今、よりにもよって正反対の名を持つ男にその負けにおいて負けてしまったのだ。
 そして勝利さんは負け太さんと自分の人生を比較して感涙に咽んだ。ああ、負けている。俺は間違いなくこの目の前の男より負けている。人生の負け具合で俺のほうが負けている。負け具合を比べた時、確かに勝利さんは負け太さんより負けているのだ。そう、勝利さんは「負け太」という名を背負う人間より人生の負けっぷりで勝ったのだ。それは勝利さんがその人生で初めて味わう勝利の味だった。
 「ああ、今なら俺は自分の人生を肯定できる。俺は勝ったんだ・・・・。」
 今、初めて、勝利さんはその名にふさわしく暖かな勝利の光に包まれたのだった。
 (でも本当は負けている。)