かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

 神様なんていない。
 僕はやるせない気分で不公平な世界にため息をついた。もし神様がいたなら、この世界に対してやることがいっぱいあるはずだ。なのに世界はおかしなことばかりで、何一つ奇跡も起こらずよくもなりもせず、ぐるぐると時間を回しながら今日から明日へと移っていく。神様は世界をほっぽり出していったい何をしているんだ? 僕の願いをひとつくらい聞いてくれても、たとえちっぽけな存在でも僕の祈りに耳を傾けるくらいしてもいいじゃないか。きっと神様は世界中の祈りの声を無視してそっぽを向いてるんだ。
 いや、やっぱり神様なんていないんだ。
 何の力もない僕に出来ることといったら不公平な世界に文句をいい、いもしない神様に対して恨みを抱くだけだった。僕に力があれば神様になって世界を良くしてやるのに。

 

 「神様お願いです。」
 世界中から僕の元へ願いが届くようになった。どうしてだかわからないが奇跡は突然起きた。僕は神様になった。
 僕は驚いたが、それ以上に力があるということはすばらしいことに喜びを覚えた。力さえあれば世界を変えていくことだって出来る。
 僕は世界中から寄せられる神への祈りに耳を傾け、その中からかなえるべきものとそうでないものをよりわけ、世界をよくするためにどんどん力を使い世界中に奇跡を振りまいた。世界中に喜びの表情があふれ、感謝の声が上がり、僕は充実感に満たされた。祈りの声は世界中から山ほど僕の元へ届き、僕の力も世界中へ帰っていた。

 神であること、みんなの願いをかなえること、なにもかもすばらしかったが困ったことがないでもなかった。たとえば二人の人間の願いがぶつかり合うような内容のときなどはどうしようもなかった。片方が正しい人間で片方が間違った考えの人間なら何も困ることはないのだけれどそうでない場合はどうしたものかすごく悩んだ。
 また僕の元へは願いだけでなく、恨みや文句の声もどんどん届いた。勝手な願いをしながら願いがかなわないと勝手に恨みを抱くやつらからだ。銀行強盗が「上手く逃げられますように。」だって?ふざけんな!

 最初は大して気にもしていなかったが、世界中の神への恨みや勝手な願い、時には呪いもそりゃあたくさんあった。その下らないエネルギーを固めたらちょっとした星が作れそうだ。僕は月を二つに増やしてみたらどうだろう、と真剣に考えてみたがあまりいい考えでもなさそうなのでやめた。
 その代わりというわけではないけど僕は神の力の別な使い方を思いついた。天罰を与えるのだ。今までは願いをかなえてやることばかりに力を使っていたけどこういう使い方だって神様としてありなんじゃないか?
 僕は下らない願いをばかりをする世界中に天罰を振りまいた。いやもちろん天罰だけじゃない。かなえるべき願いには今までどおりに耳を傾け奇跡を起こすことも怠らなかった。山火事の森に雨を降らせ、嵐の中の船にそっと風を吹かし安全なところへ押し出してやり、迷子の子供にはそっとわからないように帰り道を教えてやった。反面下らない願いや呪いにはそれ相応の報いを返してやった。人殺しは間抜けなミスで警察に捕まり、泥棒は詐欺師にだまされやすくなり、詐欺師はスリによく狙われるようになった。運動もせずにスポーツ選手になりたいと思った子供は肥満になり、賽銭を10円だけ入れて宝くじに当選しなかったと文句をいった馬鹿の家はバラバラになって崩れ落ちた。

 

 目が覚めた。
 夢?夢だったのか。
 僕は辺りを見回してため息をついた。

 うん、神様なんてどうでもいい。そう思うとなぜかすがすがしい気分になった。

 神様や奇跡なんて頼ろうと考えていたのがそもそもの間違いだったんだ。

 大事なのは自分自身がどうあるか、神様や奇跡ってのは自分自身の行いの、最後のちょっとした後押しくらいのものなんだろう。ただの夢だったのかもしれないけど、神を経験したことで僕自身がこれからどうするか、自分を見直すきっかけになった。

 僕は立ち上がるともう一度辺りを見回した。
 そうさ、今の僕にとって重要なのは神様のことじゃない。この瓦礫の山と化した我が家をどうするかということだ。