かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

優しい嘘 2006-04-15

 世界には嘘があふれている。

 だけど、どうせ騙されるなら、優しい嘘にだまされたい。

 たとえば、僕の目の前にちょっとスタイルよさげな女の人がいるとする。

 スタイルいいなぁ、なんて思っても本当は騙されている。

 すました顔のその下で、矯正下着とか、ヒップラインがきれいに見える下着とかの研究情報収集に余念がない。

 その胸も、背中から肩から下腹から、余った肉を集めて集めてかき寄せて、寄せて上げて寄せて上げてその形を作ってる。

 でもわかっていても騙されよう。

 優しい嘘に騙されたいから、騙されることさえ優しく騙されよう。

 だからそこのスタイルちょっとよさげな人、僕を騙してみないか?

 大丈夫、優しく騙されるから。

 本当にホント、騙されるだけ、なにもしないから。

 なんにもしないって、嘘じゃないって。

 

 

羊を数える夜 2006-01-24

 なぜだか眠れなかった。
 眠気は十分にあるのだけれど眠れない。どうしてだろう?
 僕は布団の中でなんども寝返りをうって寝ようとしたけれど駄目だった。さてさて、こういうときはいったいどうしたらいいのだろう? 眠れないといっても眠気はたっぷりあるのだから、起きて何かをしたり本を読んだりする気にもならない。こういうときは古典的だけど、やはり羊の数でも数えてみるのがいいのではないだろうか?

 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・・・・。

 少し数えてみて気がついた。意外と数えにくい。羊が僕にとって馴染みがない動物であるからかもしれない
 ちょっと考えてみよう。きっとただ言葉だけで「羊が一匹」なんて数えてるから数えにくいのだ。でもだからといって現物の羊を用意するわけにもいかない。ここは一つ、頭の中で羊を思い浮かべ、その数を数えることにすればいいだろう。さっそく僕は羊のイメージを頭の中に描く。

 よし、羊が一匹。

 さらにもう一匹の羊を描く。

 羊が二匹。

 もう一匹。

 羊が三匹・・・・・。

 駄目だ。なんか駄目だ。数える対象の羊という存在がどうも希薄であやふやな感じがする。羊を数えるという行為が不自然な感じがする。そもそもただ漠然と羊を数えるという行為がいけない。なにもない頭の中の空間に無理やり羊を思い浮かべても駄目だ。やはり羊というのは牧場にいるものだ。
 僕は頭の中に広々とした草原を思い浮かべてみた。旅行会社かなにかのパンフレットで見たことがある北海道の風景写真の記憶を元にイメージする。次にその中に牧場の姿を追加してみる。柵で敷地を区切り、畜舎小屋を立て、管理事務所を控えめに追加した。
 うん、なかなかいい感じの牧場だ。牧羊犬も必要だろうから二匹ほど飼っておこう。犬種はボーダーコリーでいいだろう。
 よし、これで羊を数える準備は整った。僕は一匹づつ牧場の柵の中に羊を数えながら追加していく。

 羊が一匹。

 うっかり柵の外に羊を追加すると逃げたりして牧羊犬が大騒ぎするからな。

 羊が二匹。

 羊が三匹・・・・・。

 羊が十二匹・・・・・。

 羊が二十六匹・・・・・。

 羊が百十三匹・・・・・。

 羊が六百八十匹・・・・・。

 羊が千四百十一匹・・・・・。

 ・・・・・困った。
 牧場がいっぱいになってしまった。けっこう大き目の牧場を用意したつもりだったのに。現状ではこれ以上の羊を我が牧場で飼育することはできない。
 しかたないな。ここは牧場を広げるとしよう。おっと忘れないように畜舎も増築しなければ。
 牧場の東側の土地を買い占めて牧場を拡張する。
 よし、これで牧場は三倍近い規模になった。
 さっそく羊を数えるのを再開する。

 羊が千四百十二匹。

 羊が千四百十三匹。

 羊が千四百十四匹・・・・・。

 羊が千四百六十一匹・・・・・。

 羊が千九百二十二匹・・・・・。

 羊が二千四百三匹・・・・・。

 羊が三千八百二十九匹・・・・・。

 羊が四千百七十六匹・・・・・。

 ・・・・・まいった。
 またしても牧場がいっぱいになってきた。しかも困ったことに今回は前回と同じように安易に牧場を拡張するというわけにもいかない。
 予算がない。
 前回の拡張の時に行った強引な土地の買占めのために、我が牧場の資金は底をつきかけているのだ。しかし、何らかの手を打たなければこれ以上の羊を収容する能力も我が牧場には残されていない。
 ここはなにか別の手立てが必要だ。
 ・・・・・羊を売ることにしよう。
 羊を二千匹ほど売ることにした。一度に大量に売ったため多少業者に買い叩かれはしたものの底をついていた牧場の資金もある程度回復した。残った羊は二千五十六匹だ。
 さて、羊を数えるのを再開しよう。

 羊が二千五十七匹。

 羊が二千五十八匹。

 羊が二千五十九匹・・・・・。

 羊が二千二百七十八匹・・・・・。

 羊が二千六百五十五匹・・・・・。

 羊が三千百三十一匹・・・・・・。

 羊が三千五百九十二匹・・・・・。

 ・・・・・ちょっとタンマ。
 トイレに行きたくなってしまった。
 面倒だけれど、ちょっと我慢できそうにない。やれやれ、ちょっと行ってくるとするか。
 トイレは確か、牧場管理小屋の裏に作っておいたな。
 お、あったあった。
 ノックしてみる。
 よし、空きだ。
 とっとと済ましてしまおう。
 ふぅ~。

 

 ・・・・・んなわけない!

 

 

頭が重い 2005-11-27

 朝起きると、すごく頭が重い。
 なんかこう、頭を持ち上げようとすると首がきしむくらいに重い。通常の3倍は重い気がする。決して普段が軽すぎるというわけではない。

 

 ああ、なんでこんなに重いんだろう?

 

 どれくらい重いんだろう?

 

 体重計に乗ってみた。

 

 いつもと同じだった。

 

 

 

心のありか 2005-10-05

 あなたは僕のことを心が狭いというけれど、それは個々の心の捉え方の問題であって、つまりあなたの捉え方の問題であって、決して僕の心が狭いなんてことはないんです。
 例えるのなら3LDKの心に住んでる人は六畳一間の心に住んでいる人より広いところに居るのかもしれませんけど、庭付き一戸建てに住んでいる人からすれば狭く感じられるでしょう。その庭付き一戸建てに住んでいる人だって、土地を一坪二坪と数えるよりも一反二反、1ヘクタール2ヘクタールで数えた方が早いくらいの豪邸に住んでいる人から見たらどうでしょう?
 僕の心なんてね、別に豪邸みたいなきらびやかなものでもないけど広々としたもんです。例えて言うなれば一面に地平線が広がる平野です。
 そう、どこまでも広がる平野。
 僕の心は広いんです。僕の心は僕一人が存在するには有り余るほどの広さを持った平野です。ちょっと自分でも恐いくらいの広さの平野です。
 僕一人のためにここまでの広さはいらないんです。ですから僕はその平野の端っこに四畳半くらいの小さな小屋を建てて、その小屋に引篭もって、外には出ないようにしてるんです。


 わかります?

 

カップ麺 2005-12-29

 カップ焼きソバは要注意だ。

 

 カップ焼きソバに比べればカップラーメンなんて安易で、簡単で、しょせんは素人が食べるものだ。
 カップラーメンに比べてカップ焼きソバを作るには色々な注意が必要である。一つ間違えば全てが台無しであり、そのような素人は世間から馬鹿にされ、堕ちこぼれの烙印を押され惨めにカップラーメンをすするしかないのだ。

 

 まず第一に注意しなれければならないのは、お湯を注ぐ時に一緒にソースまで入れてしまってはならないのだ。最初にして最大の難関である。カップラーメンとは違うのだ。スープとソースは違うのだ。間違ってしまったらもう終わりだ。貴様のごとき間抜けはこのエースコックを手にする資格などない!

 

 次に注意すべきは、ソースは入れないが乾燥カヤクはお湯と一緒に入れなくてはならないのだ。ソースを入れないからとつい油断して乾燥カヤクを入れ忘れれば具無しの焼きソバを食う羽目になる。貴様のような抜け作は日清から追放だ!

 

 さらに注意すべきはお湯を捨てる時である。お湯と一緒にどうしても麺がカップから脱出を計ろうとする。油断しているとお湯の熱さでカップを持つ手に力が上手く入らずニュルリと麺が出てしまい、グチャア、ああー! という羽目になる。貴様のような根性無しにマルちゃんはまかせられん!

 

 そしてお湯を捨てる流しにも注意が必要だ。ドボドボーとお湯を捨てているとなんか急に流しの底が「べコン!」とかでかい音をたてて膨らんだりするからビックリだ。そんでもってそこへ蛇口から水を出して冷やしてやると「バコン!」とかいってへこんで元に戻る。続けて「べコン!「バコン!」とかやるとなんか楽しい・・・・・。いやいや、そんなことをして遊ぶ貴様からは徳島製粉を没収だ!

 

 やっとあらゆる要注意を乗り越え面にソースを絡ませ、これで安心してカップ焼きソバを食べれると思ったら最後に最要注意事項が残っているのである。
 カップ焼きソバは焼きソバなのに、焼いてないのである。

 

 

提案 2005-11-22

 提案です。
 皆さんにはこの考えを広く世間に伝えることを提案します。

 つまり、女性の胸部を指し、その形状大きさを示し、「Aカップ」「Bカップ」などと世間では表現されていますが、それが時に女性にとってコンプレクスとなる場合とてあるわけです。つまり「Aカップ」よりも「Bカップ」、「Bカップ」よりも「Cカップ」の方が重んじられる、いやそれどころか、もはや「Aカップ」の女性は「Cカップ」「Dカップ」の女性に対し羨望と引け目すら感じて生きているこ有様です。
 しかしその一方で、最近では「Dカップ」よりも「Aカップ」を賞賛する動きもあり、「Aカップ」の需要が一部では高まりつつあるのは確かです。つまり「Aカップ」の女性はなにを引け目に感じる必要もなく、どうどうとその需要に胸を張って答えるべきなのです。
 ここで提案です。

 「Aカップ」「Bカップ」と表現するのではなく「Aクラス」「Bクラス」と表現してはいかがでしょうか?

 もう、語感だけでも優越感。「Aクラス」にとってもはや「Dクラス」「Eクラス」など足元のはるか下、もう優越感にひたって見下しちゃってもかまいません。

 は、なによその無駄に大きいのは!
 こちとら特殊需要があるのよ!
 隙間産業は意外と儲かるのよ!

 そりゃなんたって「Aクラス」、漢字を使えば「A級」ですよ。
 運転免許だったらA級ライセンス、もはや敵はサーキットの中ですよ。
 もう止まりませんよ。
 ほんと止まりませんよ。
 つーか止めろよ。
 誰かそろそろ僕のブレーキをかけてよ。
 なんだかんだ言って、言い方を変えても「Aカップ」は「Aカップ」だと思う。

 

 

愛の試練 2005-11-15

 それは異次元だったり異空間だったり過去だったり、まあうやむやのうちにいつのどこだかわからない話。

 

 「姉さん姉さん、一つ尋ねるがいったいなにをしているのかね?」

 「見ての通り弁当を作っている。」

 「それはいったいなんのために?」

 「今日は私の彼氏になるかもしれない男と出かけるのだ。」

 「ほうほう、新しい彼氏と楽しいデートですか。」

 「彼氏ではない、候補だ。それに楽しくなるかどうか相手の男しだいだ。」

 「しかし、姉さん。今一度尋ねるがいったいなにをしているのかね?」

 「見ての通り弁当を作っている。」

 「これは弟からの提案だが、せっかく弁当を作るのなら美味しそうなものを、せめてまともに食べられそうなものを作るべきではないかと思う。」

 「ふ、それは思慮が足りない。私のこの弁当を食べて不味いなどと思う男なら、この弁当を残さず綺麗に文句の一つも言わずに美味しく食べられるほどの者でなければ、この私に対する愛が足りぬ。そのような男、その場でこの弁当と一緒に廃品回収に放り込んでやるわ。」

 「(その弁当、廃品なんだ・・・・・)。」

 「ふ、そういうことだ、弟。」

 「そうか、なら、その弁当はいわゆる試験なんだ。その弁当を美味しいと思って食べられる男だったら‘候補’から‘彼氏’に昇格するわけか。」

 「たわけ! このような弁当を美味しいと思うような味覚の狂った男など気色悪くて付き合えるか! そのような男、その場でこの弁当と一緒に燃えないゴミに捨ててくれるわ。」

 「(その弁当、燃えないゴミなんだ・・・・・)。」