かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

先輩と僕2 2005-09-23

 「子供はただ歩いているだけで転んだりする。でも大人は転ばない。
 子供はいつだって上を向いて歩いているからつまづいてしまう。でも大人は上を向くことを忘れて下ばかり見ているから転んだりしない。
 つまづいて転んでも上を見上げて歩く子供、転ばない智恵を付けた代わりに上を見ずに自分の足元ばかり見ている大人。
 大人と子供、本当にいい歩き方ってどっちなんでしょう?」

 

 

 

 「それは僕に対するフォローのつもりか!?」

 「いえ、世間話です。」

 

 

起きないもの 2005-10-03

 最近「やる気」がというものが起きない。
 こう、なんていうか、ぼーっとしてふにゃーっとして何に対してもまるで「やる気」が出てこない。
 まったくもってこういう状況がよくないのは自分でもわかっている。なんとかしてやる気を起さなくてはいけない。でも起きない。
 ああ、こういうのを無気力症候群とでもいうのだろうか。ずーっとやる気は起きない、やる気は寝たままだ。
 やる気が起きないままではどうしようもない。僕は無理やりにでもやる気を起すことにした。
 僕は心の螺旋階段を上り、狭い回廊を歩き「やる気」の部屋を訪れた。

 「もしもしやる気さーん、そろそろ起きてくださーい。」

 ノックしても返事はない。仕方ないので僕はドアを開けて部屋へ踏み込むことにした。

 「開けますよー。起きてもらわないと困るんですよー。そろそろ僕もねー・・・・・。」

 ・・・・・見なかったことにしよう。
 僕は開けたドアを黙って閉めた。

 

 僕は外へ出て少し背伸びをして周りを眺めた。うん、世界は僕が思い込んでいたよりも広いようだ。
 そして僕は、新しいやる気を探すために歩き出した。

 

 

伏字 2005-08-10

 いわゆる放送禁止用語というやつを文面で書く場合、たいてい伏字が使ってあるじゃないですか。つまり「放送禁止用語=伏字」ともいえるじゃないですか。
 ついでにいうと「放送禁止用語=いやらしい単語」といっても過言ではないじゃないですか。ようするに「伏字=いやらしい単語」なわけですよ。
 だから伏字をみると反射的に「あ、いやらしい単語だ!」と思ってしまうのも無理ないわけですよ。

 ほら、僕なんてもうそのあたり反応がすごいわけですよ。なんていっても純情バリバリな思春期真っ盛りですから。もう軽く10年以上も思春期をやっているベテランの思春期ですからね僕は。例えていうなら思春期界の先発工藤、思春期界のキングカズなんですよ。
 ですからもう羞恥心という名の条件反射で、伏字を見るとすぐにいやらしい単語が脳内を駆け巡り、思わずほほを赤らめてしまうくらいの純情っぷりです。
 パブロフの思春期はとどまることを知らず盗んだソプラノリコーダーで(妄想へ)走り出す勢いです。

 (僕はやったことないんですんが、よく漫画なんかのネタであるように、好きな女の子の縦笛を盗んで舐めるやつって本当にいるんですか?)

 というわけで最近の僕は、伏字を見るだけで顔が赤くなったりするんですよ。
 これじゃあはたからみると、間違いなくキ○ガイですよね。(「キ○ガイ」をみてほほを赤く染めながら)

 

ダイエット 2005-07-21

 本屋に行くといつでも大量にダイエット本が置いてある。
 テレビでは次から次へと新しい痩せ方特集をやっている。
 ファッション情報誌や情報番組では毎年毎月新しいダイエット方法を特集している。
 それはなんでかって?
 簡単なことさ。今までのやり方じゃ本当に痩せたりはしないからさ。

 

 そしてこれからもそうなのさ。

 

 

石川君の恐い話

 『じゃあ俺もせかくだからお返しに一つ恐い話をしてやるよ。これは高校の同窓会のときの話なんだが、飲み屋を幹事が予約して、待ち合わせは参加者全員が直接その飲み屋へ行くって決まってた。で、俺も頼まれてちょっと会場係みたいなことをやって幹事の手伝いをしてたんだ。そしたらさ、予定より参加者が一人多いんだ。』

 「普通はドタキャンとかで予定より参加者が少ないもんだよな。」

 『ああ、少ないことはあっても多いってのはおかしいだろ。で、俺は幹事の間違いかな?って思って店にお願いして急遽予約よりも一人分多く料理を作ってもらったんだ。』

 「それでまさか同窓会の中に知らないヤツが一人混じってたとか?」

 『馬鹿、それだったらそれは‘恐い話’じゃなくて‘変な話’だよ。』

 「まあそうか。」

 『でだ。さすがに急に一人分の追加を頼んだものだからお店の方もすぐに料理を準備できないわけだ。で、10分くらい待ってくれって言われた。』

 「まあ、仕方ないね。」

 『で、人数の集計やら席決めをしていた幹事にその旨を伝えた。幹事は会場に集まったみんなにその旨を伝えて、まあ、予定よりは多少遅れたもののその後無事同窓会は始まった。』

 「よかったじゃん。で、これのどこが恐い話なんだ?」

 『いいから話は最後まで聞けよ。でまあ、無事に始まった同窓会なんだけど困ったことに始まったすぐくらいから幹事にネチネチ絡みだしたヤツがいてさ、同窓会の開始が遅れたことでけちをつけだしたわけだ。‘人数の確認が甘い’とか‘幹事の準備不足のせいだ’だとか言ってな。』

 「うわー、やなヤツ。たかが10分くらいで。」

 『ああ、幹事っていったら楽しく同窓会をやるための功労者だろ。だったら多少の失敗は笑って大目に見るもんさ。』

 「誰だよ、そのけちつけたヤツは?」

 『岡山。』

 「うわ、なんか納得。そういや石川君、同じクラスだったね。」

 『で、可哀想に幹事は同窓会が終わるまで2時間ほど延々と岡山のヤツに絡まれてたってわけだ。周りがときどき‘まあまあ、そのへんでやめとけよ’って止めたりもしたんだけど聞かなくてな。』

 「うーむ。確かに岡山君に2時間も絡まれるというのは幹事にとって見ればある意味恐ろしい体験だったとは思うけど、それは‘恐い話’とは普通言わないんじゃないかい?」

 『それがさ、後で聞いたんだけど。あの同窓会の全員に確認したんだけど、誰一人として岡山に同窓会の連絡を回してなかったんだ。』

 「え? それどういうこと?」

 『誰も同窓会の場所も日時はおろか、同窓会をやることすら教えていないのにもかかわらず岡山は同窓会の当日、会場に一番乗りして待ってたんだよ!』

 「それは恐すぎるわ!」

 

 

僕の恐い話 2005-07-06

 石川君からずいぶんと久しぶりに電話がありました。
 電話の用件がなんだったかというと「なんか怪談を教えろ。」というものでした。なんで突然怪談なのかというと飲み会の余興で怪談をやるそうです。

 『というわけでだ。さあ、観念して教えろ。』

 「うーん。怪談ねえ・・・・・。じゃあ九州のとあるトンネルの話なんてどうだろう?」

 『うむ、なんでもよいぞ。洗いざらい話すがよい。』

 

~ その九州のトンネルというのが、正確に九州のどこにあるのかは僕も知らない。学生の時、九州出身の同級生に聞いた話なんだ。
 そのトンネルはそれ程大きなトンネルではないものの長さはちょっとある。だいたい横幅は乗用車2台がギリギリすれ違うことが出来る程度で、長さは700m程らしい。両側の出口付近は少しカーブになっていている。今ではそのトンネルはほとんど使われていない。もともと整備が遅れていた県道ですぐ近くにもっと広い県道のトンネルが出来たのでお役御免になったんだ。
 そのトンネルにはもちろん照明がついてるんだけど、そりゃあ古い照明なんでちょっと困ったことがある。昼間用の照明と夜間用の照明がタイマーで切換わるようになってるんだけど、これが少し狂っていて夕方、昼間用から夜間用に照明が切換わるときに時間のズレがあって5分くらい真っ暗になっちゃうんだ。さっきも言ったように両側の出口がカーブになっているから外から光も届かない真っ暗な区間がちょうど500mくらい出来る。
 地元の人はそれを知っているからその時間帯にはそのトンネルには近づかないし、地元以外の人は新しいトンネルの方を使うから別段たいした問題なんてなかったから、そのトンネルの照明についてはずっと放置されていた。
 ところがまあ、たまたまその時間帯、何の因果かそこへ迷い込んだ車がいた。特別な理由もなく、ただ純粋に偶然迷い込んだだけの乗用車には男が一人だけ乗っていた。車がトンネルへ入ったとたん真っ暗になったものだから男もさすがに驚いたものの、ライトをつけ、そのままトンネルの奥へちょっとゆっくり目のスピードで進んでいった。
 で、トンネルの奥はまだ夕方だっていうのにものすごく真っ暗、なんでだかライトで照らしてもぼんやりしてる。男もなんかちょっと変だななんて考えた。そしたら変なものに気がついた。真っ暗で、自分の車しか居ないはずのトンネルの中、小さな小さな子供の声が聞こえてくる。何かの聞き違いかと思ってカーステレオの音を消してみるとやっぱり小さな子供の声が、それも一人二人じゃなくて、何人もの、何十人もの子供の声。男は恐る恐る窓の外を見てみたけど何にも見えやしない。だけど車を取り囲むように聞こえてくる子供たちの声。笑い声、泣き声、悲鳴、悲鳴、悲鳴。
 男は恐くなってスピードを上げてトンネルから勢いよく飛び出した。
 トンネルが見えなくなるまで走ってから男は車を止め、恐怖でぜえぜえと乱れた息を整えようと、深呼吸をしようと車から降りた。そしてふと車を見ると、車のボディ、窓のちょっとしたの高さまで真っ赤な手形、小さな子供の真っ赤な手形がびっしりと付いていた。車のボディ一面にちょうど小さな子供の手が届くくらいの高さまで赤い赤い血のような手形がぺたぺたと付いていた。
 実はそのトンネル、ずっと昔の冬、まだトンネルの中の照明がちゃんと付いてなかったくらいの昔、天気の悪い日、ちょうど夕方、トンネルが真っ暗になるのと同じくらいの時間、トンネルのちょうど真ん中辺り、落盤事故があって、幼稚園の遠足のバスが横転した。人里からも10km以上離れていて、その頃は特に暗くなってからはめったに他の車が通ることもなくて、真っ暗な中、子供たちはどこにも逃げられなくて、痛くって、泣いたけど、真っ暗で、何にも見えなくて、バスを運転していた先生も倒れて血を流してて、寒くて、叫んだけど、どっちに逃げたらいいかもわからなくて、30人くらいいた子供たち、バスの中でみんな一晩のうちに凍え死んじゃったのだ。 ~

 

 『・・・・・・ふーむ、なるほどねえ。』

 「とまあ、僕が知っている怪談はこんなところかな。」

 『恐いといやあ恐いけど、どっちかっていったら恐いというより可哀想な話ってヤツだよなあ、今の話。』

 「でもこの話、後日談があるんだよ。」

 『へー、後日談か。』

 「ああ。地元の大学生がこの話を聞いて面白がって、実際にそのトンネルへ行ってみたらしいんだ。」

 『なんだよ、それでまさか‘その大学生は二度と帰ってこなかった’っていうありがちあんどしょーもないオチじゃないだろうな。』

 「いや、ちゃんとその大学生は無事に帰ってきたんだ。だけどその大学生、そのトンネルでなにがあったか尋ねても、ガタガタ震えてばっかりで決して何があったか何を見たかを話そうとしない。」

 『それもまたありがちなオチだ。』

 「で、その大学生、トンネルには自転車で入ったらしいよ。」

 『・・・・・そりゃあ恐すぎるわ。』

 

 

忙しい時にくだらない話 2004-12-17

 「坊主(師)も走る師走ですよ。」

 と、祖母ちゃんの命日にお経をあげに来た坊さんが言ったので驚いた。
 なんで師走に坊主が走らなくてはいけないんだ?
 そういえばこの坊さん以外にも「坊主(師)も走る師走」と誰かが言ってたのを聞いたことがある。どうも世間では「師走」の意味が間違って広まっているらしい。
 師走の「師」は中国語で先生もしくは仏教の指導者であるところから、年末の忙しさも加味されて

 「師走」=「坊主(=仏教の指導者)も走る」

 と考えられているようだが本当の「師走」の意味(というか語源)はまるで違う。「師走の「師」とは「坊主(=仏教の指導者)」ではなく「軍隊」のことだ。

 

 三国志三国志演義)をの名を知らない人はいないだろう。その三国志の名場面の一つに諸葛亮孔明が蜀の皇帝劉禅劉備玄徳の息子)へ「出師の表」を奉じる場面がある。宿敵である魏の国を討つために出陣する諸葛孔明の決意表明文が「出師の表」だ。
 この「出師の表」の「出師」とは「軍を起す(戦を起す)」という意味で「表」は文字通り「表す(現す)」だ。
 つまり「出」=「起す(出発する)」であり、「師」=「軍(=戦)」だ。
 では「師走」とは「軍隊が走る」ということなのかというとそれも違う。「走」をそのまま「はしる」という意味にとるから勘違いが起こる。

 

 先に三国志の話が出たのでまた三国志中の例を出すとしよう。
 「出師の表」を皇帝劉禅に奉じ、固い決意で魏の国へ出発した諸葛亮孔明の蜀軍を迎え撃ったのは司馬懿仲達率いる魏軍だった。
 蜀軍と魏軍は何度も戦ったものの決定的な決着をつけることができず、最後は対陣中に諸葛亮孔明が決着を着けぬまま死んでしまう。ここで三国志中屈指の名場面「死せる孔明、生ける仲達を走らす」になる。

 

 三国志の小説などではこうなっている。
 孔明の死後、蜀軍は総大将を失ってしまい戦を続けられないので蜀へ帰らねばならない。しかしそうなると魏軍(司馬懿仲達)の追撃に遭い蜀軍は壊滅の恐れすらある。そこで諸葛亮孔明は死ぬ間際に幕僚を集め一計を授けた。
 司馬懿仲達は孔明の死を知り、蜀軍が退却を始めると好機とばかりに追撃を開始する。しかし蜀軍に襲いかかろうとした司馬懿仲達の前に立ちふさがったのは他ならぬ諸葛亮孔明だった。死んだはずの孔明が現れ恐れをなした仲達はあわてて退却をする。結局仲達は蜀軍を追撃し追い回すつもりが逆に追いまわされ蜀軍に散々な目に遭わされるのだが、実は仲達が見た孔明は本物の孔明ではなく魏軍の追撃に備えて孔明が用意した人形だったのだ。
 死んだ孔明はその計略で生きている仲達を逃げ走らせた。つまりこれが「死せる孔明、生ける仲達を走らす」だ。
 しかしこれは小説上のお話であり本当の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」はちょっと違う。「走」は「はしる」という意味の他に「返す(引き返す)」という意味がある。
 孔明の最大のライバルだった仲達は当たり前ながら三国志の時代中屈指の戦術家であり希代の大将軍だった。その仲達がいくらなんでも孔明の人形を見て(いや仮に本物の生きた孔明が現れたとしても)情けなく逃げ惑うなどありえない。仲達は死してなお孔明が万全の備えを残したことを悟り軍を「走らす」=「返らす」、つまり逃げたのではなく無駄な損害が出るであろう追撃をあきらめ引き返したのだ。
 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは「死んだ孔明はその計略で生きている仲達を(追撃をあきらめさせ)引き返させた」ということだ。

 

 もはや説明は不要だろう。
 「師走」とは「師(仏教の指導者)」も「走(走る)」という季節ではない。
 「師走」とは「師(軍)」を「走(引き返す)」季節ということだ。
 蛇足的説明を加えると古代の軍を構成する兵士の多くは普段は農民であり、春(旧暦の1月~3月)には畑を耕したり田起しなど一年間の農作業の準備や種まきなどで最も忙しい季節で戦争どころではない。春に農作業をちゃんと行わなければ戦争に勝って帰ってきても食料がないその国は滅びてしまう。
 そうならない為には春を迎えるまでに軍は自国へ帰り解散して農作業に備えなくてはならないのだ。
 春を迎えるまでに、「師走」には軍は帰らなくてはならない。つまり「師(軍が)走(引き返す)」ということだ。

 

 

 とまあ、こんなくだらないことを考えた。
 祖母ちゃんの法事中だというのに、師走だというのに。