かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

忙しい時にくだらない話 2004-12-17

 「坊主(師)も走る師走ですよ。」

 と、祖母ちゃんの命日にお経をあげに来た坊さんが言ったので驚いた。
 なんで師走に坊主が走らなくてはいけないんだ?
 そういえばこの坊さん以外にも「坊主(師)も走る師走」と誰かが言ってたのを聞いたことがある。どうも世間では「師走」の意味が間違って広まっているらしい。
 師走の「師」は中国語で先生もしくは仏教の指導者であるところから、年末の忙しさも加味されて

 「師走」=「坊主(=仏教の指導者)も走る」

 と考えられているようだが本当の「師走」の意味(というか語源)はまるで違う。「師走の「師」とは「坊主(=仏教の指導者)」ではなく「軍隊」のことだ。

 

 三国志三国志演義)をの名を知らない人はいないだろう。その三国志の名場面の一つに諸葛亮孔明が蜀の皇帝劉禅劉備玄徳の息子)へ「出師の表」を奉じる場面がある。宿敵である魏の国を討つために出陣する諸葛孔明の決意表明文が「出師の表」だ。
 この「出師の表」の「出師」とは「軍を起す(戦を起す)」という意味で「表」は文字通り「表す(現す)」だ。
 つまり「出」=「起す(出発する)」であり、「師」=「軍(=戦)」だ。
 では「師走」とは「軍隊が走る」ということなのかというとそれも違う。「走」をそのまま「はしる」という意味にとるから勘違いが起こる。

 

 先に三国志の話が出たのでまた三国志中の例を出すとしよう。
 「出師の表」を皇帝劉禅に奉じ、固い決意で魏の国へ出発した諸葛亮孔明の蜀軍を迎え撃ったのは司馬懿仲達率いる魏軍だった。
 蜀軍と魏軍は何度も戦ったものの決定的な決着をつけることができず、最後は対陣中に諸葛亮孔明が決着を着けぬまま死んでしまう。ここで三国志中屈指の名場面「死せる孔明、生ける仲達を走らす」になる。

 

 三国志の小説などではこうなっている。
 孔明の死後、蜀軍は総大将を失ってしまい戦を続けられないので蜀へ帰らねばならない。しかしそうなると魏軍(司馬懿仲達)の追撃に遭い蜀軍は壊滅の恐れすらある。そこで諸葛亮孔明は死ぬ間際に幕僚を集め一計を授けた。
 司馬懿仲達は孔明の死を知り、蜀軍が退却を始めると好機とばかりに追撃を開始する。しかし蜀軍に襲いかかろうとした司馬懿仲達の前に立ちふさがったのは他ならぬ諸葛亮孔明だった。死んだはずの孔明が現れ恐れをなした仲達はあわてて退却をする。結局仲達は蜀軍を追撃し追い回すつもりが逆に追いまわされ蜀軍に散々な目に遭わされるのだが、実は仲達が見た孔明は本物の孔明ではなく魏軍の追撃に備えて孔明が用意した人形だったのだ。
 死んだ孔明はその計略で生きている仲達を逃げ走らせた。つまりこれが「死せる孔明、生ける仲達を走らす」だ。
 しかしこれは小説上のお話であり本当の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」はちょっと違う。「走」は「はしる」という意味の他に「返す(引き返す)」という意味がある。
 孔明の最大のライバルだった仲達は当たり前ながら三国志の時代中屈指の戦術家であり希代の大将軍だった。その仲達がいくらなんでも孔明の人形を見て(いや仮に本物の生きた孔明が現れたとしても)情けなく逃げ惑うなどありえない。仲達は死してなお孔明が万全の備えを残したことを悟り軍を「走らす」=「返らす」、つまり逃げたのではなく無駄な損害が出るであろう追撃をあきらめ引き返したのだ。
 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは「死んだ孔明はその計略で生きている仲達を(追撃をあきらめさせ)引き返させた」ということだ。

 

 もはや説明は不要だろう。
 「師走」とは「師(仏教の指導者)」も「走(走る)」という季節ではない。
 「師走」とは「師(軍)」を「走(引き返す)」季節ということだ。
 蛇足的説明を加えると古代の軍を構成する兵士の多くは普段は農民であり、春(旧暦の1月~3月)には畑を耕したり田起しなど一年間の農作業の準備や種まきなどで最も忙しい季節で戦争どころではない。春に農作業をちゃんと行わなければ戦争に勝って帰ってきても食料がないその国は滅びてしまう。
 そうならない為には春を迎えるまでに軍は自国へ帰り解散して農作業に備えなくてはならないのだ。
 春を迎えるまでに、「師走」には軍は帰らなくてはならない。つまり「師(軍が)走(引き返す)」ということだ。

 

 

 とまあ、こんなくだらないことを考えた。
 祖母ちゃんの法事中だというのに、師走だというのに。