かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

黙示録 2006-06-05

 神が世界を滅ぼそうと思ったのは別に「気まぐれ」というわけではなかった。前々から考えていたことではあった。
 世界とは、神が七日間で創りあげたモノであり、神が自らに似せた住民とその住民たちが住む大地と海のことだ。なにせ世界はたった七日間で創ったモノだったからあちこち不完全な部分が多かった。全能たる神としては不完全な世界は腹立たしいモノだったのだが、初めての創世としてはまあまあの出来ではないかと思っていた。はじめのうちは。
 世界ははじめ平らな大地だったが、世界の住人たちがその活動範囲を広げるにつれ世界そのものを広げなくてはならなくなり、それでも追いつかなくなったとき神はこっそり世界を丸い球体に作り替えた。これで膨張する世界の果ては球面でつながり、どん欲な住人たちにあわせて世界の果てを果てしなく広げる必要がなくなった。世界はこうして閉じた球の輪で補完された。しかしこれは実は失敗だったことに後で気づいた。世界を球形にしてしまったために、世界と宇宙の関係が変わってしまった。世界の住人たちのうち小うるさいモノたちに星の配置がおかしいと気づかれる前に、星の配置と軌道をすべてやりなおさなくてはならなかったからだ。空など見上げる暇があったら自分の足元でも見ていればいいモノを・・・・・、神は全知たる存在でもあったからそう思っても無駄なことも知っていたから黙って星を動かした。
 不完全な世界が腹立たしい理由はこのように無駄に手がかかることだけではなかった。住んでいる住人たちもまた腹立たしいものだったのだ。考えてみれば彼ら住人たちが遠慮なく活動範囲を広げるものだから神がせっせと世界を改変する必要があったのだ。しかもすぐに醜い争いを始めるし、それも大集団同士で不毛な争いをだ。そのくせお互いに大量殺戮を繰り返している割には個体数はやはり遠慮なく増え続け、そのうち球形になったが故に果てをなくした閉じた世界の容量を超えてしまうのも時間の問題に見えた。あろうことか生意気にも住人たちの一部は世界の礎たる大地を飛び出して宇宙に進出しようとするモノまで出始めた。そのうちまた急ごしらえで創りかえた宇宙をまたこっそり手直しするハメになるだろう。それにしてもまあ、世界の住人たちのことで一番腹立たしいことといえば神自身に彼らが似ていることだ。彼らが愚かで無遠慮な振る舞いをするたびにやり場のない苛立ちを覚えた。住人たちの言葉を借りて言うなら「同族嫌悪」という言葉が一番神の心境に近い。
 自分に似せて創るのではなかった。住人たちについて、時折神はそう思わないでもなかったのだが自分に似せて創らなかった住人たちがもし素晴らしい存在だったらそれはそれで腹が立ったに違いない。しかし、しかしだ、姿形だけならともかく、機能までならともかく、その内面まで似せたのはやりすぎだったかもしれない。やることなすこと、その社会活動形態までが似てしまえばさすがに親近感もわくが同時に近親憎悪も芽生えるというモノだ。
 こうして神は世界を滅ぼす決心を固めるに至った、といってもまだ悩むことがあった。滅ぼすのはわりと簡単だが問題はその後だ。滅ぼした世界をどうするかが問題だった。滅ぼした世界は捨てなければならない。(再利用という手もあったがまた同型の世界が出現する可能性が高いので神としてはそれはあまり気が進まない考えだ。)神の常識的な考えからすれば世界を滅ぼした場合、世界は燃えないゴミに分別されるべきだ。
 残念なことに次の燃えないゴミの収集日は6銀河周期(10億8000万年)も後だったのだ。

 

 

世を分かつ川 2005-05-25

 「・・・・・患者の・・・・・意識が・・・・このままでは・・・・・・危険・・・・・・」

 


 目の前に川が広がっていた。
 初めて見る川で向こう岸は見えない。
 向こう岸が見えていないにもかかわらず、僕には目の前にあるモノが川で、向こう岸があることもわかっていた。
 川の向こうから僕を呼ぶ声が聞こえた。誰の声なのかわからない。思い出せないけど懐かしい声。
 僕は妙に心をせき立てられて、早く川の向こうへ、僕を呼ぶ声の元へ行こうと足を踏み出した。
 行ってはいけない気がした。
 引き留めるモノが後ろにある気がした。
 大切なモノを置いてきた気がした。
 でも僕は、振り返らなかった。

 

 「心拍数低下。」

 

 僕は川の中に足を踏み入れた。

 

 「駄目です。体温も低下しています。」

 

 川の水は温かくもなく、冷たくもなかったから僕はなんのためらいもなく川の中へ進んだ。

 

 「緊急蘇生処置の準備急げ!」

 

 そして僕は、自分で自分のことをなんて愚かなんだろうと思ったのだ。

 

 「どわああああ!」

 「わ! なんだ。」

 「患者の意識が戻った!?」

 「し、死ぬかと思った。」

 「いや、死にかけてたし!」

 「しかしどうして急に、意識が?」

 「僕は泳げないんだ!!」

 

 

小豆島 2006-05-21

 姉が地図を持ってきて僕に見せた。地図は瀬戸内海のページだった。

 「弟よ、弟はこの島の名前が読めるか?」

 姉はそう言って小豆島を指さした。
 僕が冗談のつもりで

 「こまめじま。」

 と答えると、「ふぅ~」と、わざとらしきため息をつきながら言った。

 「弟は教養分(←姉語、教養の栄養分という意味)が不足がちのようだ。`あずき’の読み方さえ知らないとは。」

 

 

女たらし 2006-05-17

 「女たらし」になりたいと思いました。

 

 「女たらし」、つまりモテモテの一形態です。ですが残念なことにモテモテであった経験がないので「女たらし」がどういう物であるのかがわかりません。でも、「女たらし」がどういうものであるかといったらおそらく「女をたらす」モノだと思います。
 とりあえず、「女たらし」という単語から「女をたらす」ということがどういう物であるかを想像してみました。女をたらす、足らす? 垂らす?
 「足らす」では意味が理解しがたい物がありますが、「垂らす」であるなら容易にその状況が想像できます。おそらく「女を垂らす」と言うからには「女をぶら下げる」もしくは「女をつり下げる」ということです。
 しかし考えてみれば、「女をぶら下げる」というのは人間一人を吊し上げるわけですからちょっと大仕事です。このあたり、正しいやり方だとか、容易にできる初心者向けの方法だとかあるかもしれません。そこでふだんから「女のことなら俺に任せろ」と言っている知人に、「女をうまく吊り下げる正しい方法はどんなものか?」と質問してみたところ彼はちょっと顔を赤くしつつ、「ああそういうのが好きなのか」と意味深な表情でうなずきつつ、「まあ人の趣味は人それぞれだから・・・・・。」と言って「初心者にもわかる図解付き縛り方特集」とデカデカ書かれた雑誌を僕に渡し、「家に帰ってからこっそり読みたまえ」となぜか目を合わさずに言いました。彼の怪しげな態度の理由がよくわかりませんが、吊すための教材は手に入りました。
 さて、教材が手に入ったのはいいものの吊すためには頑丈な、人間一人の体重を支えられるロープと、そのロープをぶら下げる梁のようなモノが必要です。ロープは幸いなことに近くのホームセンターで手に入ります。しかしそのロープをぶら下げる場所がありません。市の運動公園にある屋外バスケットコートのゴールなどはとてもぶら下げやすい気がするのですが、どうも場違いなような気がしました。世間の「女たらし」たちはいったいどこで女を吊り下げているのでしょう? ひょっとしたら吊り下げ専用のウィンチとか持っているのかもしれません。困りました、ウィンチとは高価なアイテムです。初心者がいきなり投資するには高価すぎるアイテムな気がします。途方に暮れた僕はさっきの知人にまた相談することにしました。「垂らすというのはなかなか難しいことだね」と僕が言うと彼はまた顔をちょっと赤くしつつ「そそ、そ、そうなのか?」とすこしどもったように言った後、「少し太めのローソクを買えばいいと思う」とやや控えめな口調でアドバイスをくれました。どうして「女たらし」にローソクが必要なのかわかりませんがとりあえず彼のアドバイスにしたがい、仏具店に寄り高級亀山ローソクの一番大きいサイズのモノを購入しました。
 なかなかどうして、女たらしへの道は遠いようです。ローソクを買ってはみたもののこのローソクになんの意味があるのかもわかりません。とりあえず部屋の明かりを消し、ローソクに火をつけてみました。「女たらし」とは凡俗たる僕が簡単にたどり着くことができない一つの境地なのかもしれません。
 薄暗い部屋の中ゆらめくローソクの火、僕はその火を眺めながら目を閉じ、足を座禅の形に組みました。きっとこのローソクの火が燃え尽きるときには「女たらし」についてなにかわかる、悟りが開ける、そんな予感を抱きながら。

 

 

悪代官 2006-05-13

 「しかしのう、常習屋、殿への献上品をそちに任せるというのは簡単な話ではないぞ。我が藩では、殿への献上品はこれまで越前屋がとりしきるのがしきたりとなっておる。殿の覚えもめでたく、越前屋の評判もよい。」

 「なにをおっしゃいますお代官様。わたくしども常習屋が越前屋に劣るとでもお思いであられますか。」

 「わしはそのようなことを申しておるのではないぞ、常習屋。」

 「はは、それはさておきお代官様。お代官様は甘い物がたいそうお好きとか。」

 「ほう、そのようなことをよく存じておるのう、常習屋。」

 「なんのなんの、他ならぬお代官様のことでございますから。こちらに手前どもがお代官様のためにご用意した特別なまんじゅうがございます。これをお一つお召し上がりになられますれば、お代官様のお考えもきっとお変わりになるはず。ささ、どうぞお召し上がりください。」

 「そちも悪よのう、常習屋。」

 「いえいえ、お代官様にはとうていかないませぬ。ささ、まんじゅうの中身は山吹色の特製餡子でございます。」

 「・・・・・それ、食べられるの?」

 

問題児 2006-05-12

 「この世に問題児がいるのなら、その反対の存在も必ずいるはずだと思うんだよ。」

 「なんだよ反対って。」

 「問題児が問題なら、解答があるはずだ、いわば解答児。」

 「なんじゃそりゃ?」

 「世はなべて二極対立構造、古代中国の太極図だってそうだしキリスト教だって善悪二極分化だ。」

 「インドは三柱だったと思うけど。」

 「まあとにかく、問題があるなら解答があるし、問題児がいれば解答児がいて当然なわけよ。」

 「いてどうすんだよ?」

 「次々と問題提起する問題児に対し、次々と解答していく解答児、いわばライバル、いわば宿命の対決。」

 「問題児は問題提起したりしない。」

 「血を血で洗う闘い。」

 「洗うか!」

 「飛び出す必殺技、ハァァァァァッ!」

 「必殺技なんてあるか!?」

 「弾く返し技、ホァァァァァッ!」

 「聞けよ! 人の話を!」

 「まあつまり、解答児ならすべての答えを握ってる。どんな答えも知っている。たとえば、オレのこの世にとっての存在がなんであるかとか・・・・・・。」

 「お前のようなヤツを`問題児’というのだ。」

 「・・・・・はっ、き、貴様、まさか!」

 「ふ、ふふふふ・・・・・。」

 「ちっ、よもやこのような身近に解答児がいようとは!」

 「はーはっはっは! 今こそ宿命の決着をつけようではないか!」

 「ハァァァァァッ!」

 「ホァァァァァッ!」

 

 

たなばた 2006-07-07

 「七夕」

 ↑こいつがどうしても「たなばた」と素直に読めません。(若さ故の反逆)

 

 七夕の物語というと、平たく言えば天の川によって離ればなれにされたアルタイルとベガが一年に一度だけ会えるというお伽噺です。
 どうしてアルタイル(わし座)とベガ(こと座)が離ればなれにされたかというと、ベガ(織姫)はもともと天帝のための機織りだったのです。姫のくせに機織りという職に就いていたことから、織姫はおそらく没落貴族の出身か、素行に問題があって保護監察司あたりから奉仕活動でも命じられていたのかもしれません。まあそれはいいとして、織姫はある時、天帝の紹介でアルタイル(彦星)と結婚しました。天帝については部下の結婚式で仲人をやりたがる上司タイプだとでも思っておいてください。
 彦星と結婚した織姫は結婚生活に溺れて(若さ故の過ち)機織りの仕事をさぼるようになりました。やはり織姫は素行に問題があるとしか思えません。怒った天帝は二人を天の川で引き離してしまいました。普通に解雇すればいいものを家庭崩壊にまで追い込むとは、これは明らかにやりすぎだと思います。部下が部下なら上司も上司です。
 天帝は真面目に働くならばという条件で一年に一度、7月7日にだけ二人が会うことを許しました。もしかすると天帝は織姫の上司ではなく、保護監察司なのかもしれません。一年に一度会える七夕に雨が降ると天の川が氾濫して二人は川を渡ることができず会うことができなくなってしまいます。責任者たる保護監察司の天帝はなにもしてくれやしません。そんな時は会えない二人を憐れんだカササギたちが現れてその身をもって橋となり二人を会わせてやるのだそうです。だからたとえ七夕に雨が降ってもなんの心配もなく二人は逢瀬を楽しむことができるのです。(若さ故の本能)

 

 途中、文脈がおかしい部分がありましたが気にしないでください。僕も気にせず突っ走ります。(若さ故の暴走)