魅力 2007-05-27
恥ずかしげにもじもじしている女性を見るとたまらない。
フェチズムの話ではない。
見た目の美しさ、綺麗さよりも女性の魅力の本質は「可愛げ」があるかどうかではないかと思う。
造形の美よりもふとした仕草や言葉から漏れる雰囲気に多くのモノを感じ、その表情から受ける印象は強い。
もちろん「美しさ」という魅力を否定もしない。
一瞬見せたような表情に「美しさ」を覚えて胸を突かれることもあるだろう。
しかし、やはり日常の中でかいま見るムキになる姿だとか、嬉しそうな笑顔だとか、照れた表情とか、そういったモノの中に可愛げを感じると、それは心の中を通り過ぎる一瞬ではなく積もりゆく魅力であるのではないだろうか。
恥ずかしげにもじもじしている女性を見るとたまらない。
見ているだけではたまらなくなりそっとその耳元にささやいてしまう。
「トイレはあっちですよ」
フランダースの謎 2007-08-05
やはりフランダースの犬は謎だ。
WEB上でちょっと調べてみたところ、作者はイギリス人でベルギーフランドル地方の話らしい。
主要な登場人物は画家を目指す少年ネロ、ネロの祖父、飼い犬パトラッシュ、村の金持ちコゼツ、その娘アロア。
ネロは祖父が亡くなった後天涯孤独の身となる。なんとかアルバイトをしながら絵描きを目指し細々と生活をしていたが風車小屋が火事になった時、放火犯の疑いをかけられ生活に困窮し、また絵画コンクールに落選したことで絶望し、村を飛び出しアントワープの大聖堂に飾られているルーペンスの絵の前で死を迎える。
謎だ。
だいたいネロは本当に画家になる気があったのか?
ネロは未だ少年、一度や二度コンクールに入賞できなかったからといって絶望していたらきりがない。コンクールには才能を持ち、その上で努力と研鑽をつんだものが多く応募するのだ。中には一度や二度の挑戦で入選するものもいるだろうがそれは特殊な例に過ぎない。画家は才能を努力で磨き、自分が描きうる世界を表現できるようになってこそだ。
以上のことから少年ネロは、実力以上の自負心を持った思い上がりの強い性格であったと考えられる。また自分の努力をその価値以上にひけらかし、努力にたいし自分が思っているにふさわしい対価が得られないと不満に思う、おそらく友達にしたら嫌なタイプに違いない。
またフランドル地方の村における自治活動はいったいどういうものなのか。いったい天涯孤独の少年が明日の食事も保証されないほどの困窮に追い詰められなければならない村とはどういうことなのか。放火犯の疑いをかけられたといっても疑いは疑いである。容疑が確定した犯罪者ですら牢獄で食事は出されるというのに、嫌疑をかけられたに過ぎない一少年が職を失い食べ物すら得られないとはさぞかし残虐な地方なのであろうか。
おそらく村ぐるみでネロを迫害する目的があったとしか思えない。ネロは何かのスケープゴートに利用されたか、それとも隠蔽すべき秘密のために生け贄とされたか、どちらにしても陰湿な村だ。それともベルギーが舞台なのに作者はイギリス人ということは帝国主義イギリスによる巧妙なプロパガンダ活動の一環という線もある。
そしてやっぱり姿を現さないフランダースとはいったい誰なんだ?
こうなったらフランダースの犬を自分で納得がいくように書いてみるしかない。
とりあえず謎というかポイントは
・ネロはどうして簡単に絶望したのか。
・ネロはどうして迫害されたのか。
・どうしてアントワープへ向かったのか。
・フランダースが出てこない。
本当の話は知らないけど、大筋で似ていたらいいなあ。
全く見たことがありません 2007-08-03
有名らしいが「フランダースの犬」がどういう話であったかよく知らない。
知っているのは登場人物が画家を目指す少年ネロとおそらくヒロインであろう少女アロア、そしてパトラッシュという親友がいたことと、火事があったこと、ラストはネロとパトラッシュがラストシーンで折り重なるように死ぬことくらいである。作中の台詞で知っているのは「僕はもう疲れたよパトラッシュ」というネロの台詞だけだ。何でこんな風に中途半端に記憶しているかというと、よくテレビやWEB上でパロディされているのを見聞きしただけの記憶しかないからである。
タイトルが「フランダースの犬」というからには「犬」、とその飼い主であろうフランダースなる人物が物語の真なる主人公、でなければ重要なキーパーソンであろう。
火事があったのが重要そうな事件であることから陰謀の匂いがする。
ラストシーンがネロとパトラッシュしか登場していないのにも重要な意味があるに違いない。ヒロインであろうアロアがラストシーンに現れないのも何かの暗示だろう。
そして犬の飼い主であろうフランダースはいったいいつ登場したのだろう? ひょっとしたらこいつが何かの黒幕なのではないのだろうか?
坂田さん 2007-06-30
マサカリ担いだ金太郎。
金太郎といったら坂田金時さんのことです。
マサカリ担いだ坂田さんはある日足柄山で熊と出くわし、紆余曲折があったのかなかったのかその熊と雌雄を決するために相撲で勝負します。
相撲で勝負する暇があるならさっさとマサカリを使えばいいのに。
坂田さんは相撲で勝負した後その熊と仲良くなり、熊にまたがりお馬の稽古。むしろ馬よりもそのまま熊に乗っていた方が強そうですが、これは性能で勝るHONDAのバイクよりあえてKAWASAKIを選ぶ心理のようなものかもしれません。(今このサイトは全国のKAWASAKIファンを敵に回した!)
やがて坂田さんは源さんに気に入られ武士になりました。武士といったら槍持ちですよ。
坂田さんはいったいいつマサカリを使ったんでしょう?
いったい坂田さんは何のためにマサカリを持っていたんだか。マサカリは持ってて嬉しいおもちゃじゃないんですよ。使ってこそマサカリなんですよ。
アホなんですか坂田さん。
ここ2,3日の間に僕がマサカリで頭をかち割られて死んでいたら、犯人はおそらく日本全国に200人はいるというKAWASAKIファンの仕業です。
■
昨日昼飯を職場の近くの定食屋で食べていたときのこと。
食べ終わって会計の前にちょっとトイレに行ってもどってみると、なんだか店の中がざわざわと騒々しかった。
はて、なんだろう? と思って様子をうかがってみると、驚いたことに僕が食い逃げと勘違いされているようなのだ。どうやら食器を下げに来た女性店員が僕がトイレに行ったのに気がつかず早とちりしたらしい。
正直なところ食い逃げと間違えられてムカッとしたのだけれど、気短に怒るのもどうかと思って口から出かけた文句をささやかな努力により飲み込んだ。
理由は面倒くさいから書かないが、この世には何軒か僕が二度と行けない店というモノが存在している。短気を起こして今更「行けない店のリスト」に新たな項目を付け加えることもないだろう。言っておくが行けない理由は決してその店で暴れたりしたとかそういう理由ではない。
僕が会計伝票をつまみ上げると、すぐ横で僕のことを食い逃げと勘違いした女性店員が「すいません、すいません。」 とやたら謝っているのでここは軽く冗談で流しておこうと思い
「食い逃げだったら捕まらないうちに早く逃げ出すべきでしょうか?」
と、女性店員に尋ねてやると彼女は一呼吸するほどだけ考えてこう切り返した。
「では逃げられる前に、警察を用意しておくべきでしょうか?」
僕はこういうちょっとした切り返しをしてくる女性が大好きなので、つい嬉しくなって彼女のことを褒めた。
「いいねいいね、その切り返し。味の方もその程度に上手ければ、値段ほどの価値があるんだけれど。」
こうして、「行けない店のリスト」に新たな項目がまた一つ加わったのだ。
数億円 2007-03-27
なんの脈絡もなく宝くじが、もちろん一等が、しかも前後賞付で当たったらどうするかという話をみなでしたんですが
「貯金する。」
「国債を買う。」
「土地を買う。」
などの意見。
もう僕は聞いていてイヤになりましたね。
しょせん「宝くじが当たったら」なんて、取らぬ狸の皮算用、いわゆる「if 話」ですよ。
そんな「もしも話」においてすらなんですか、その堅実さをアピールする態度。
はっきりいって夢がありません。
がっかりです。がっかりすぎてもはや軽蔑すらしてしまいますね。
もしも話なんてしょせん夢話です。その夢話の中ですら夢のない堅実さにあきれかえってしまいました。
だから僕は彼らにきっぱりと言ってやりました。
「本当に君たちはダメだ、つまらないな。夢を見て遊ぶことすらできないときている。」
すると彼らは口々に言いました。
「じゃあ、おまえはどうなんだ?」
決まってる。宝くじが一等前後賞付で当たったら数億です。数億もあったらアレをやるしかないでしょう。アレといったら全人類貧乏人共通の夢をかなえるしかありません。
「札束を山ほど作ってばらまいて遊ぶ。」
アレといったらもう札束撒きしかないじゃないですか。降って沸いたあぶく銭でしかできないじゃないですか。貧乏人なら誰もが一度はやってみたいと思っても決してできない行為っていったらこれしかないじゃないですか。
みんな僕の答えを聞いてちょっと唖然としたようでしたがしばらくして彼らのうちの一人が尋ねました。
「いや、・・・・・ばらまいて、それで終わりか?」
これを聞いてまたがっかりです。
ホント、馬鹿じゃないかと思う。
もちろんばらまいてそれで終わりのはずがない、ちゃんと続きがある。
そんなこともわからないなんてどうかしてる。
だからばらまいたあとどうするか、きっぱりと言ってやりました
「拾うに決まってるだろ!」
たなばた 2006-07-07
「七夕」
↑こいつがどうしても「たなばた」と素直に読めません。(若さ故の反逆)
七夕の物語というと、平たく言えば天の川によって離ればなれにされたアルタイルとベガが一年に一度だけ会えるというお伽噺です。
どうしてアルタイル(わし座)とベガ(こと座)が離ればなれにされたかというと、ベガ(織姫)はもともと天帝のための機織りだったのです。姫のくせに機織りという職に就いていたことから、織姫はおそらく没落貴族の出身か、素行に問題があって保護監察司あたりから奉仕活動でも命じられていたのかもしれません。まあそれはいいとして、織姫はある時、天帝の紹介でアルタイル(彦星)と結婚しました。天帝については部下の結婚式で仲人をやりたがる上司タイプだとでも思っておいてください。
彦星と結婚した織姫は結婚生活に溺れて(若さ故の過ち)機織りの仕事をさぼるようになりました。やはり織姫は素行に問題があるとしか思えません。怒った天帝は二人を天の川で引き離してしまいました。普通に解雇すればいいものを家庭崩壊にまで追い込むとは、これは明らかにやりすぎだと思います。部下が部下なら上司も上司です。
天帝は真面目に働くならばという条件で一年に一度、7月7日にだけ二人が会うことを許しました。もしかすると天帝は織姫の上司ではなく、保護監察司なのかもしれません。一年に一度会える七夕に雨が降ると天の川が氾濫して二人は川を渡ることができず会うことができなくなってしまいます。責任者たる保護監察司の天帝はなにもしてくれやしません。そんな時は会えない二人を憐れんだカササギたちが現れてその身をもって橋となり二人を会わせてやるのだそうです。だからたとえ七夕に雨が降ってもなんの心配もなく二人は逢瀬を楽しむことができるのです。(若さ故の本能)
途中、文脈がおかしい部分がありましたが気にしないでください。僕も気にせず突っ走ります。(若さ故の暴走)