かおなし=Faceless

日常だったり雑談だったり妄想だったり

頭痛

 風邪をひいたかもしれない。
 頭が痛い。とても頭が痛い。
 割れるように頭が痛い。


 痛い頭を抱えながらフラフラと街をさすらっていると、耐え難いほどの痛みが僕の頭を襲い僕は小さなうめき声を上げながらその場に倒れた。
 たまたまその周囲にいた人々は崩れ落ちるように倒れた僕を見て驚いて何事かと駆け寄り集まった。人々がおそるおそる僕の様子をうかがってみると僕は白目をむいていて、割れるように痛かった頭はもはや取り返しのつかないほどパックリと割れていた。

 この事態に人々は驚きうろたえたが僕の様子を観察するうちにあるモノに気ついた。そのモノとは僕の頭の割れ目からわずかに見えている梅干の種のようなモノである。さらに割れた僕の頭の中身をしげしげとみなで観察して見ると頭の中身はほとんど空っぽであり、ただその梅干の種がコロコロと頭蓋骨の中で転がっているだけであった。

 人々は悩んだ。
 はて、この梅干の種のようなモノはいったいなんであろうか?
 多数の意見を占めたのはこれは干からびた脳みそであると言うものだった。反対派は人間の脳みそがこんなに小さいわけがないと反論したが、人間の体のおよそ90パーセントは水分であるとも言われることから干からびれば十分にこのくらいの大きさになると賛成派の学生Aが主張したことから、また賛成派の主婦Bが僕の姿を見るにこの梅干の種が脳みそであるというのは非常にお似合いである、と発言したことで反対派から賛成派に鞍替えするものが多数出て体勢は一気に決した。
 しかしここまで沈黙していた中立派の年寄りCが控えめにこの梅干の種のようなモノが脳みそではないと発言した。年寄りCは元小学校教師であり、博識で知られていたためその発言には千金の重みがあった。みなが年寄りCに注目する中、彼はひょいっとその梅干の種のようなモノを拾い上げ、しげしげとよく観察した後にそれが‘頭痛の種’であることを明言した。
 人々は噂には聞くものの‘頭痛の種’と言うものを見るのは初めてだった。

 こうして種の正体はわかったのだが、次にこの種をどうしたものかと人々は考えた。しかし、これについてはすぐに解決した。
 なんと言っても頭痛の種なのである。要するに種だ。種であるならば土に埋めればよいのだ。
 幸いなことに近くに荒れ果てた古い古い墓地があった。頭痛の種はその墓地の奥の角地へ埋められることに決まった。ここならば誰かの迷惑にもならず、また怒る人もいないだろうという理由からだった。

 埋められてから三日もすると小さな小さな芽が出た。驚くべきことに頭痛の種が発芽したのである。人々はその小さな芽を見て生命の神秘に驚き、また感動した。
 その小さな芽はあまりにもはかなげで弱々しかった。この芽をどうしたらうまく育てられるかと人々は考えた。いい案を思いついたのは町内会の会長Dであった。
 彼は倒れたまま三日の間放置されていた僕の体をズルズルと墓地まで引きずってきた。そう、芽を育てるには肥料をやればいいのである。三日の間に早くも僕の体は腐敗しはじめていて肥料となる条件を十分満たしていた。人々は丁寧に芽の周りに穴を掘り、僕の体を適度な大きさに千切りながらバラバラとその穴の中へ肥料として放り込んだ。
 みんなその作業の間、この芽がどんな風に育つのかを想像し、共同作業の連帯感に包まれながら幸せそうな笑みを浮かべせっせと僕の腐敗した体を千切った。

 やがて芽はすくすくと育ち葉を茂らせ、2週間ほどで高さ50cm程にまで成長した。
 そしてある朝、人々が気がつくとひっそりと美しい花を咲かせていた。大輪の花と呼ぶほどには大きくないがそれなりに立派な、色は白い上品な趣きすら感じる花であった。その味わい深い姿は花屋Eも知らないほどの深みを持って存在していた。
 この見事な花はいったいなんと呼ぶべき花なのだろう?
 ここでまた博識な年寄りCが前に出た。そしてみなに思い出させた。
 この花の下には肥料として埋められた僕の体があるということを。この花は僕の死体の上に咲いているということを。
 また、僕が頭痛の種のもともとの持ち主であり、この花を咲かせたのは僕であるも同然ということを。
 そしてこの花の名前は決まった。

 

 誰も見向きもしない墓地の片隅。
 僕がキレイに咲かせた‘死に花’が秋の陽光をあびてひっそりと今日もゆれている。